陸の生物である人間が作った飛行機は、陸上の滑走路を拠点としていたのですが、そのうち水の上からも発着できれば便利じゃね?と気が付き。
陸上用の主脚をフロートと取り換えて、水上機が生まれ。単フロート型と双フロート型に分かれました。
単フロート型(上・パブリックドメイン)と双フロート型(下・PIXABAY無料画像)
どちらがより優れているのだろう?と今日まで尽きざる論争になっています。
水上機の全盛時代では、なんと日本が他の国の追随を許さない大発展を遂げました。
そんな日本が、単フロートと双フロートをどのように使い分けていたのを見てみます。
以下、日本機の画像は、皆さんおなじみ中島航空機博物館(https://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/index.html)から引用させていただきました。
◎トップバッターは「零式水上偵察機」
双フロートですね
この飛行機は、巡洋艦とか、飛行甲板を持たない艦艇からカタパルトで射出され、はるか遠くにいる敵の艦隊の情報とかを探るなどが主任務であり。操縦士、偵察員のほかに航法員を乗せることで、広い洋上を迷子にならないで飛ぶことができ。
空母同士の艦隊決戦においても、空母は攻撃用の戦闘機、攻撃機、爆撃機で満杯なので、随伴する巡洋艦から零式水上偵察機を発進させて敵艦隊の動きを探りました。
真珠湾攻撃では攻撃隊に先立ちホノルル上空へ飛んでいき、見事敵情報告の大任を果たしましたが、ミッドウエーでは、カタパルトが故障して発進が遅れたために、敵の強襲を許したという、目立たないけれど決定的な役割を担っていたようです。
つまり、3座という事で長距離飛行や夜間飛行を可能とし、偵察以外にも爆撃など多用途で重宝されたそうです。どこまでも真っ直ぐ、ぶれずに安定した飛行ができる傑作機、という事だったらしい。
◎「瑞雲」水上偵察機
やっぱり双フロート型
零式水上偵察機とよく似ているけれど、こちらは敵戦闘機と格闘したり、急降下爆撃ができるように、大幅に機体を強化しており。乗員も、専門の航法士が減らされて2名になっています。
戦争も後半になると、零式水上偵察機では、敵の戦闘機の餌食になってしまう事が増え。何とか落とされないよう、空戦フラップを装備したりがんばった。また、無理やり急降下をやらせようとしたので、エアブレーキとかが振動して空中分解が多発したらしい。
Wikipediaでは、水上機にしては攻撃力が優れている、と書いていますが、それは水上機にしてはという事であって、雲霞のごとく押し寄せるグラマン相手にどこまで生き残れたかは疑問です。
一方、魚雷艇を爆撃したりとかで活躍しました。
◎二式水戦
単フロート型
零戦を水上機にしたらこうなった。フロートを付けても意外と性能低下は抑えられたらしく、飛行場のない南方の島々から飛び立ち、連合軍戦闘機相手に大活躍しました。
◎零式観測機
さてさてマニアのみなさん、ついに主役の登場です。
やっぱり単フロート型
観測機は、戦艦などに搭載して、艦隊決戦において、味方の戦艦の主砲弾が敵の戦艦に命中しているかどうかを文字通り観測し、味方へ伝える、というのが主任務の飛行機です。
当時の戦艦は、主砲の射程が4万メートルに達しており。地球は丸いので、その距離だと、地平線(水平線?)に敵の艦影が隠れてしまい、ろくろく視認するのも困難になってしまっていた。
そこで、観測機を飛ばして上空から射撃情報を得よう、ということになり。
こんなかんじ(出展:https://hatoh-yamato.jp/archives-044/)
航続距離は「零式水上偵察機」の3分の1くらいと短いですが、その分格闘性能を向上し。
味方の着弾観測を行うために空に上がるという事は、敵の観測機も上がってきているわけですから、その敵が純粋な観測機であろうが、空母から飛んできた戦闘機であろうが、格闘して落としてしまえ!という恐ろしい野望を持った飛行機になりました。
ただ、時代はすでに砲戦ではなく空母同士の航空決戦になっていたので、観測、という面では全然出番がなくなってしまい。
そのかわり、船団護衛や離れ島の防空で、敵機に無双するという野望は見事達成され。グラマン、P38やP39という本職の戦闘機をバタバタ叩き落す大活躍をしたそうです。
零式観測機と二式水戦のコンボは無敵だったらしい。
P38(パブリックドメイン)
P39(パブリックドメイン)
このへんで、単フロートと双フロートの利点・弱点が浮き彫りになってくると思います。
1.そもそも水上機にとって、まず離水というのがものすごく難しく、リスキーな行いである。水は、フロートの底に粘着してしまい、まるでボンドを引きはがすようにして離水しなければならなくなるらしい(すいません、ぼくは陸上機パイロットなので、また聞きです)。従ってエンジンパワーがなく、鈍重な機体は、そのぶん水上滑走がやりやすい機体でないと、制御不能、転覆、になってしまい。
単フロートだと波とかが斜めに当たったりする場合の制御が難しく、離水には双フロートの方が一日の超あり、ということで、零式水上偵察機や瑞雲は双フロートになったらしい。
2.エンジンパワーがありすぎても、プロペラトルクなどで単フロートは苦しいらしく、シュナイダー杯のレース機などでも双フロートを採用しています。
マッキMC72 https://grabcad.com/library/idrocorsa-macchi-castoldi-mc72-1934
こういったレース機はともかく離水速度が速いので、その速度になるまで延々と滑走しなければならず。この間すさまじい偏向のねじれに対応するために、片側のフロートはあえて燃料タンクにしてバラストとした、という情報もあります。写真のマッキがそうだったかは情報えられませんでしたが。
二式水戦や零式観測機は、翼面荷重がレース機よりずっと低い(上昇力がものすごく高い)ので、パイロットがうまくトルクを殺せば、危険な水面をそんなに走らなくても離水できた、という事と推察します。
3.いったん離水すれば水上機も陸上機とおなじ、というわけにはいかず。大きなフロートを付けているぶん、飛行特性にも影響が出てしまい。
前方投影面積だけなら、実は単フロートと双フロートはそう変わらず。空気抵抗による速度への影響は、有意なほどにはならなかったらしい。
一方、単フロートの場合、重いフロートを1個にまとめて、機軸中心の垂直線上に置くことができ。
https://geolog.mydns.jp/www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3853/jnrs/jnrsC235c.html
https://daihonnei.com/wp-content/uploads/2017/04/%E7%91%9E%E9%9B%B23%E9%9D%A2%E5%9B%B3-1.jpg
このため、ロール性能の低下を最低に抑えることができた。左右の補助フロートはそれほど影響がなかったらしい。
横転性能は、格闘戦の中でも重要ですから、二式水戦や零式観測機が単フロートなのもうなづけると思います。
4.なんちゅう理由じゃ、という単フロート機もあり。
その名もグラマンJ2F「ダック」
http://www.fiddlersgreen.net/aircraft/Grumman-Duck/IMAGES/duck-standing-grumman.jpg
フロートが巨大すぎて、飛行機にフロートが付いているのか、フロートに飛行機が付いているのかわからなくなっているのでした。
この巨大なフロートが、メインギアの格納と共に、なんと居住区となっており、「燃料や貨物の他、並列のシートに2名まで人員を乗せて輸送が可能だった(Wikipedia)」とあります。
ここまでくると、飛行艇ですよね。。。。
ぶきっちょだけれど、貨物輸送から海難救助まで、多用途で活躍した傑作機になりました。
アメリカとかは、二式水戦みたいな水上機は作らなかったの?という質問があるかもしれません。
あるにはあった。でも大量に使われるという事はなかった。
水上機型スピットファイア
https://www.hlj.co.jp/product/KOP73170/
水上機型のグラマンF4F
https://live.warthunder.com/post/763196/en/
F4Fの水上機型は「野生のナマズ」と呼ばれたようです。
アメリカには「飼いナマズ」とか「のらナマズ」がいたのだろうか?「養殖ナマズ」と「天然ナマズ」はあるみたいだけれど。
脱線ついでに、東京の「わかば」には、日本有数といわれる「天然物」のたい焼きがあります。わくわく。。。
「わかば」のたい焼き
アメリカの場合、島を占領すればあっという間に滑走路をつくってしまうし、戦争開始2年後の1943年には「週刊空母」といって、一週間に一隻の割合で空母を就航させていたので、わざわざ水上機を作る必要なんてなかったのですね。。。。
パブリックドメイン
日本が水上機大国になったのは、ろくに滑走路も作れない貧弱な工業力が理由だったというオチになってしまいました。
ああ無情。。。
現在では、セスナなどの水上型が、カナダなど水面がいっぱいの国々で大活躍しています。やはり離水が一番の課題なのか、みな双フロートになっています。
ではでは。。。
*このブログは、ワールドプレスHP「アーリーリタイア・軽飛行機で空を飛ぶ」のAmebloスピンオフです。以下、主要な項目のリンクに飛びます