初めに、言葉があった。
ギリシア・ローマの理性・哲学、自然科学や政治体制などの成果を、聖書の言葉によって闇の底に封印した恐るべきキリスト教の福音がヨーロッパを席巻した中世に、その後の人類の思考を決定づけた「キリスト教的世界観」が形成されました。
この当時の美術に、どんな世界観かというのが雄弁に表現されています。
栄光のキリスト 1123
いかにもスペイン人のおっちゃんなキリスト。
まじめな分析:この絵に登場する人は、みんな同じ顔をしているぞ!
11世紀後半、預言者ダニエル
なんか上のスペイン人が貧乏で生活に疲れたらこうなる、みたいな感じ。
真面目な分析:やはり様式化された表情、スタイルですね
イギリス。聖書の挿絵
真面目な分析:記号(イコン)になってます。やっぱり写実的でないなあ
さて、封印されたギリシャ・ローマ美術をちらっと覗いてみます。
ポンペイの壁画
BC50ころ。ポンペイの壁画
「キューピッドを売る女性」古代ローマ
「ラオコーン」古代ギリシア。絵画じゃないけど。。。
表情豊か、写実的で、躍動しています。これって、ルネサンスじゃ?
いやいや、ルネサンスの方がこちらをまねしたのです。
あきらかに「スペイン人のおっちゃん」と違うじゃん。
ここがポイントです。
以前、ビザンティン美術の「イコン」について書いたのと同じことが、ここでも原則となっています。表情とか、躍動とかの「個性」ではなくて、あくまで「真理、預言、福音」という「普遍」のお絵かき版でなければならなかった。
つまり、この当時は
「考えるな!神の言葉を信じろ!」
「教会が神の言葉を教えてやる!」
当時のキリスト教精神が、トマス・アクィナスという要注意のおっちゃんによってみごとに表現されています。
トマス・アクィナスは、1225年頃、シチリア王国で生まれました。
伯父さんが「モンテ・カッシーノ修道院」の院長だった。この修道院は当時ヨーロッパの学芸の中心で、聡明なトマス少年は伯父さんの後継者になることが期待され。
実は日本やブラジルにも縁が深いモンテ・カッシーノ修道院
真面目人間で、勉学一直線の結果、ドミニコ会という、当時ヨーロッパの中でも屈指の学術機関に入会。
ところが、伯父さんはじめ家族はベネディクト会(瞑想修道会)なのに、あえてドミニコ会(托鉢修道会)に入ってしまったということで、家族は猛反対し。
「どあほが!タイガースにドラフト指名されたのに、よりによってジャイアンツに行くやつがあるか!」みたいな感じで?一時はサン・ジョバンニ城に拉致・監禁されて「考え直せ」と脅迫され。
でも、本人はいたって穏やかに、「阪神にも巨人にも『野球チーム』という普遍が宿っています。ドミニコやベネディクトというのは、普遍である神の個体上での表現です。神はどの個体にも生きているのですから、巨人の阪神の、とこだわる必要はありません」と、全くこたえず。
で、家族がどうしたかというと、
「女性を連れてきてトマスを誘惑までさせた(Wikipedia)」
いいのかベネディクト派教会?
どんな誘惑をしたのか?
「1週ごとにベネディクト会とドミニコ会を交代し、週末はブラジルの素敵女子を呼んできて、みんなで集まってサンバパーティーしよう」とかだったらいいのになー。ぼくだったら一発で誘惑に負けちゃうとおもいます。
でも、誘惑する方もされる方も真面目だったようで、結局家族が折れ。トマスくんは晴れてドミニコ会デビューしたのでした。
サンバパーティー
https://www.youtube.com/watch?v=fVidhHZfbrw
その後いろいろあって、パリ大学神学部教授になったり、Doctor Angelicus(神の使いのような博士)とあがめられたり、当時の西欧思想界のリーダーとなった。
しかし、西欧はいろいろ危機に瀕しており。
古代の思想・哲学を封印してしまったヨーロッパと違い、イスラム圏では実利的にじゃんじゃん活用して大発展しており、ヨーロッパにも逆輸入が始まっていた。
十字軍の敗退のみならず、思想面でも教皇権力は存亡の危機に。
左二人がイスラム圏、右はユダヤ圏の学哲
左から、アヴィケンナ:中世マニュスクリプト(写本)、1271
アヴェロエス:ラファエロ「アテネの学堂」(ルネサンス絵画)、1509
アヴィケブロン:イスラエルの彫像
あやうしキリスト教!
ボッティチェリ画 「トマス・アクィナス(1481年)」
ルネサンス美術です
ここでトマスさんが奇跡の一言を発するのでした。
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