*今回は「超写実絵画に見る写実の本当の価値」の姉妹編で、両方の記事で補完するようになっているので、ぜひ読んで下さいね。。。。
さて。
これまで何度か美術関連の記事を書いてみて、絵画の発見とは人の思考・意識・感情そのものの発見だ!と驚いています。究極の自分さがしですねー
そして、人類史上における美術の進化にも目を見張るものあり。近代以前はキリストとかビーナスとか、ステキな画題を具象として表示するための「媒体」だったものが、その「媒体」つまり作品自身に価値が生じ始め。
例えば、フラ・アンジェリコの受胎告知ですが
当時西欧の人にとって、神々しいキリスト教の挿話の「記録と普及」の媒体であり。跪きなから、涙して観賞した。
一方で、いくら涙にむせんでも、絵ではなく、キリストさまのエピソードに涙している、ということなのでした。ははは
しかし今日、ブラジルの土着民であるぼくから見れば、キリスト教なんてどうでもよくて、絵のお姉さんの困惑、喜び、恐れ、重圧、解放いりまじった不思議な表情にひきこまれて、どうもほっておけない、と時間も忘れて見入ってしまう。これは、画題なんて関係ない作品そのものが生み出した価値と考えます。
その後、写真の実用化という大事件が起き。上で書いた「記録と普及」は一瞬で何万枚と印刷できる写真に奪われてしまいました。
では、絵画は消滅してしまったのか?
いえいえ「具象から解放された純粋美術へ進化した」のでした。
写実画は「具象と美術」がひとかたまりになっており。
ミケランジェロが「石柱を削って中から彫像を解放した」ように、抽象画家も「写実を削って美的映像のエッセンスを解放した」。
その方法は、光の解読(印象主義、ただしまだ写実絵画です)、視点の分解(キュビズム)などから始まり、時間(動き)の分解などを経由して、カンディンスキーの構成絵画で頂点に達したと理解しています。
どうやって核を抽出しているのか?
例としてカジミール・マレーヴィチの絵があります。
マレーヴィチさんは、ロシア革命のころの画家で、共産主義の暴風に翻弄され、投獄されたりしながらも「至高主義絵画」を確立した美術の革命家です。
最初のころは、帝政ロシアのブルジョア的?印象派ちっくな絵を描いており。
花売りの研究(1903年)
自画像(1908年)
印象派ちっく、フォーブちっくに崩しているが、しっかりした写実技法の裏付けある絵画からスタート。
収穫(1910年)
このあたりから抽象がはじまり。
一方、ソ連の提唱する「社会主義リアリズム」とそりが合わず。ついには投獄され、その後釈放されたものの、当局と折り合うためには純粋な抽象を捨てざるを得ず。こんな絵を発表しました。
帽子の少女(1932)
しかし、マレーヴィチの最高の時期は、やっぱりのびのびと絵をかけた期間で、名前からして「至高主義」というのを発表しています。
至高主義構成(黒の台形と赤の広場・1915年)
フットボール選手の絵画的リアリズム– 4次元の色の塊(1915年)
建設中の家(1916年)
イエローとブラックのダイナミックコンポジション、1916
シュプレマティスト作曲No.56、1916
これらの絵を並べると、具象から抽象への進化がわかります
続きは→ホームページ「アーリーリタイア・軽飛行機で空を飛ぶ」のブログ最新記事でご参照ください。
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