以前書いた芸術関連記事からスピンアウトして、美しいショートストーリー、いってみます。
ある日の午後。
大好きなパンを買って、お家に帰る途中のぴよちゃん。
浜辺を歩いていたら、お巡りさんに呼び止められました。
「ぴよちゃん、とてもおいしそうなパンだね、ぼくにもちょっと見せてー」
「はいどうぞ」とパンを差し出すぴよちゃん。
おまわりさんは、ぴよちゃんの手からパンを取り上げると、いきなり海へ向かって放り投げてしまった!
沖の波間に落ちるパン。ぽちゃん。
半狂乱になって叫ぶぴよちゃん。「きゃあああー!カメさんが死んじゃうー!」
おまわりさんは、やさしくぴよちゃんを諭します。「もう五時だよ」
その言葉を聞いて、ぴよちゃんは朗らかな笑顔になるのでした。
アフターファイブのハッピーアワー。ぴよちゃんとお巡りさんは、手をつないで楽しいお散歩に出かけるのでした。
めでたしめでたし。
なんだそりゃ?全く意味のつながらない話だぞ?
いえいえ、これが「不条理演劇」なのです。
パンかどうかは別として(パンではなくて人間の赤ちゃんというバージョンもあるのですが、ブラックすぎてさすがに掲載できず)、ぴよちゃんが抱えていた「なにか」を通じて、お巡りさんと優しさいっぱいの交流がなされ、結局両者は手を取り合ってお散歩に行く、という心温まる結末になっています。
つまり、登場人物間では、ちゃんと常識的な意思疎通が行われてたのです。
でも、読者から見れば「ぜんぜんつながってないじゃないかー!」
その通り。だから「不条理劇」というのです。
不条理劇にもいろいろありますが、この記事では、観客の持っている常識・見識をがらがらぽん、と粉砕し、「何が常識で、何が非常識なのか」を再発見させる目的のものとしています。
上記でぴよちゃんが「(パンが海に落ちたら)カメが死んじゃうー!」と半狂乱になって叫びました。
現在通用している常識から見れば、パンが海に落ちたとして、海鳥や魚のえさになることはあってもカメが死ぬことはありません。だってパンってプラスチック(海洋ごみ)じゃないよね?
では、海の生物を殺す海洋ゴミとは何でしょうか。ストローでしょうか?レジ袋のことでしょうか?
「カメがかわいそう」という感情に訴えて、特定のプラスチック製品を悪者に仕立て上げ、上手に海洋ゴミという課題から市井の人々の目を反らして、挙句の果てにレジ袋有料化でさらに市民からお金を巻き上げている、そういう「すりかえられた常識」が知らないうちにみんなの意識に植え付けられていないでしょうか。
続きは→ホームページ「アーリーリタイア・軽飛行機で空を飛ぶ」のブログ最新記事でご参照ください。
*このブログは、ワールドプレスHP「アーリーリタイア・軽飛行機で空を飛ぶ」のはてなスピンオフです。以下、主要な項目のリンクに飛びます