これまで2回にわたり、西洋美術と日本美術をそれぞれダイジェストしました。今回、このシリーズのお題である「頭でっかちな西洋美術と、ほにゃららな日本美術の接点を探り、美術に現れる日本のお国柄を理解し、日本の不可思議な新型コロナ対策の解明を試みようと思います」についに到達。
さっそく「接点」というか、まずは「どう違うか」です。
これがなかなか奥が深く。表面上の差と、「奥義」に分かれます。
表面上は技法の面で明確な差があり。
すなわち
◎日本絵画は写実にこだわっていない
◎陰影によって成り立っているのが西洋絵画。
◎日本絵画は、陰影(グラデーション)のかわりに、輪郭線で成り立っている。
◎日本絵画は、色調があっさりしている(水墨画のように、モノクロの絵さえある)
◎日本絵画は、表現が簡潔である
というのが共通認識で、明治時代にフェノロサという人が指摘しました(ぼく個人の「感性」で脚色しました。ははは)。
これらの差が、西洋人と日本人の精神や文化の差を雄弁に物語っています。
西洋人が写実から出発したのはなぜか。「抽象的な想像に左右される主観ではなく、具体的な現実から導き出される客観」が西洋人のメンタリティの基礎だからです。
絵画は視覚芸術であり。だれの目にもこう写っているぞ、本物に似てるね!そっくりだね!というのが基本中の基本である。
できうる限りの写実があって、さらに写実を超えた「輝き」を目指すのが西洋美術であった。例えばみんな大好きフェルメールの「真珠の耳飾の少女(青いターバンの少女)」ですが、「カメラ・オブスクーラ」という装置でとらえたモデルさんの姿を平面(キャンバス等)に転写して描き出しています。当時の画家が共通して使用していた装置らしい。
カマラ・オブスクーラ。
ただしフェルメールは使っていないぞ!と主張する人もいます。
こうして描き出した、写真とまがう肖像がまずはベースになり。
しかし、単なるイラストではない「内部から輝くような芸術に」するため、それぞれの芸術家がいろいろな秘法を駆使していますが、フェルメールの場合は「ポワンティエ(点綴法)」で「写実を超えた一歩先」を実現しています。ポワンティエなんて、いかにも芸術的なお名前ですが、実はシンプル(容易とは言いません)で、「光の粒で明暗、特に輝きを表現した」。
例えば→続きはホームページ「アーリーリタイア・軽飛行機で空を飛ぶ」のブログ最新記事でご参照ください。
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